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建築家・伊藤喜三郎と画家・伊藤三喜庵 建設通信新聞より
伊藤喜三郎は大正3年に銀座の昭和通り沿い、宝町で産まれた。父親は鉄工所を経営し、三菱一号館の窓周りのグリル制作などもしていた。喜三郎が中学のころ、その工場の片隅にアトリエを作って貰い、将来絵描きを目指し友人と修業を積んでいた。しかしその後、鉄工所が上手く行かなくなったため、急遽絵描きになる夢を変更、現実的な建築設計の道を選択することになった。
事情によって選択した建築設計という道ではあったものの、建設会社の設計部などを経て、昭和27年に設計事務所を開設した。そこで病院というそれまであまり注目されていなかった領域を開拓し、着実に事務所の地歩を固めていった。後年、事務所の安定を見てから、再度絵描きとしてチャレンジを図り、晩年にはプロの画家として認められるまでになった。
建築家、そして画家として二つの人生を楽しみ、全うした人生ではなかっただろうか。
大正 | 3年 | 6月26日 誕生 |
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昭和 | 13年 | 日本大学工学部建築学科卒業 |
14年 | 東京大学営繕課 | |
17年 | 株式会社日立製作所本社建築科技師 | |
20年 | 大成建設株式会社設計部主任 | |
26年 | 日本大学理工学部建築学科講師 | |
27年 | 伊藤喜三郎建築研究所設立 | |
32年 | 株式会社伊藤喜三郎建築研究所代表取締役 | |
63年 | 株式会社伊藤喜三郎建築研究所会長 | |
平成 | 8年 | 3月3日 永眠 |